2019年11月29日

11.29

「アララギ風の美観や文明史観に反対したのは、開国以後の洋風美学の影響下の、一種の文明開化的発想に対する抵抗からであつた。アララギの美観や文学史観が、近代の政党党派的で、それは文明開化的だといふことは、一見奇異な表現のやうだが、私は確信を以てさういつた上で、これを証すため、後年家持の論をかいたが、そのさき早くに後鳥羽院の御名を拝する著述を試みた。」
『日本浪曼派の時代』「「コギト」の周辺」から。
社民批判?

松下武雄はナチ嫌いだが、しかしヒトラーが勝つことを予見していたという。1929年秋の段階で。

保田は三木清を非常に嫌っている。それがなぜなのか私にはわからない。三木について京都に行った中島栄次郎から情報を得ていたようだ。彼の引く三木に関する北ヤ吉の話は本当か?

『日本浪曼派の時代』は1967-69の連載。

ぐるぐる螺旋状に回れたら良いかと思う。

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2018年07月02日

無題

7/2(月)
・炎天。用事終わりしのち、気持ちのいい夕寝。
・谷口孝男「吉本隆明の方へ」での同世代早逝者への追悼的な
 文章で、谷口利男(著者と氏名似ている)と立中潤とが取り上げ
 られているが、後者、たしかに、手持ちの「あんかるわ」33号
(1973年4/1号)に詩が掲載されている。
 谷口著は1987年刊。
 谷口利男のほうは大阪市大で、安田有が遺稿刊行を手伝っている
 ようだ。M氏に尋ねると分かるかもしれない。
・ところで、谷口氏は、北見工業大の教授だったのだが、北見工業
 といえば、ヘーゲル学者の渡辺祐邦も勤めていたはず。北見とは、
 網走に近い、北海道の東端のほうだ。龍馬の甥の直寛は北見の開拓者
 だったな。
・「極北の思想」第四号(廃刊号・1971年)の俣野広司の文章、
 「横国大の新聞部のボス」も廃刊を惜しんでいると。高橋源一郎の
 ことだろうか?(なぜ北大との関係があったのかを最近、調べている。)
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2018年07月01日

嘘日記

2018年6/29(金)
雨天。所用で梅田へ。帰りにかっぱ横丁(新)で、文庫本をいくつか。
帰りの電車で、ワシントン・アーヴィングのウォルター・スコット邸
訪問記(岩波文庫)をぱらぱら。
6/30(土)
炎天。野草観察の定例会。私は4か月ぶりの参加。
太山寺(台密。本尊は薬師如来。近くに温泉あり)の古い宝篋印塔や
五輪塔を観て、帰宅後、金岡秀友解説の即身成仏義を再読。
梵語本2冊ほどもぱらぱら。
・覚者の身体としての五輪塔・宝篋印塔→墓石の原基。
・復興戒の新義律宗と禅宗(これも専修よりは雑修)の
「葬儀仏教」黎明と、即身成仏義との関係。それは根来(ネゴロ)の
覚鑁とまたどう関係するのか。
・大日経疏、漢文。なかなか読めない。
7/1(日)
炎天。
帰宅後、届いたGordon Millan(柏倉康夫訳)「マラルメの
火曜会」をぱらぱら。
あとドビュッシー、ラヴェルのピアノ曲全集CD届く。
ヨウツベでJackie McLeanを。
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2017年12月24日

12/23-24(土・日) 讃岐路・善通寺

12/23(土)晴れ
kと連休あわせ。彼女の所望で讃岐へ。金毘羅(琴平)がメイン。
淡路縦断→高松道。高松道は拡張工事(車線増やす)をしていた。
津田の松原SAで休憩中、空腹をおぼえて降りる。たまたま調べた
羽立で讃岐うどん。うまし。アタリだった。

高松道を走っていてあらためて思うが、山のかたちがおかしい。
奇妙である。地学上の理由はなになのだろうか。
http://mitoyo-honmamon.seesaa.net/article/381802181.html

金毘羅さん、私は二度目。
クンビーラから由来されているならば、琴平・金刀比羅もそうなのだよな?
オオモノヌシノカミ(大物主神)を祭っているとは三輪との関係あり。
蛇(鰐)つながりか?

善通寺のとある安ホテルを予約していて、写真で見ていやな
予感がしたが、まさしく的中だった(駐車代がタダだったことは
長所だが)。kはかなりガックリきていた。X'mas前にここ?と。
A〇aグループに属していた。なるほど(吸収したのかもしれないが、
だからといって全然改善していないのは、A〇aらしい。)

(つづきを読む)
続きを読む
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2017年11月26日

11/26(日)

遅番のあと、20:30〜22:30ぐらいまで、職場近くの
純喫珈でブハーリン(Бухарин)のさわり。「過渡期経済論」や
メドヴェージェフのブハーリン伝、夫人の回想など。
疲れ甚だしく、確固たる読書ではない。
※案外暖かい晩であった。明朝も冷え込まないらしい。
※本日は遅いことがわかっていたので、約束はなし。
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2017年10月09日

児島

10/8(日)
なんでこんなに暑さぶり返すのかなと不思議に思うほどの暑気。
夜勤明けの翌日で睡眠調整狂い、明け方に寝て出発遅くなる。
kのところに正午前ぐらいで、バルケッタで飯食って(スペースが
半分なくなっていた。相変わらず美味いが。)、なんやかんやして
特に強い意思はないが、鷲羽山の夕陽でも観に行こうかと思い立った
のは、かなりおくれてからで、だらだら行ってたら、ぎりぎりになった。
もうちょいで夕焼けを逃すところだったが、15分くらいは間に合った
(着が17:15-20ぐらいだったか)。すぐ夕陽は光背をなくす。
瀬戸中央道。すでにそこが児島だったわけだが。
ただ安い宿を探すと、のちからわかったが、吉備津彦(吉備津)社の
近くの元ラヴホだった。ナヴィにしたがっていたら田圃からの細い畔道を
走っていると、すでに道になっていないところだったので、あせる。
引き返す。
その前にマルナカで酒をもとめ、近くの味祥で焼き餃子をたらふく食べる。
漢料理屋で日本料理の焼き餃子しか注文しないのは邪道で失礼
かもしれないが、そうすることが多い。かりかりに焼かれていて、かなり
美味かった。
10/9(月)
ホテルの管理人は親切な人で朝に会うと、あちらから観光情報をいろいろ
教えてくれて、助かった。話を聞いてまづ行きたかった児島のジーンズ
ストリートに向かうことにするが、その前にミヤシロの近くの古民家カフェ
朝食。普通の住宅をカフェに改造したもの。美味かった。
一応、ミヤシロ参拝。ふたつとも(吉備津、吉備津彦)。ボランティアの
案内人にいろいろ教えてもらう。それぞれ備前備中の一宮ということ。
つまり古墳・ミヤマに国境があるということ。桃太郎のモデルだということ
など。以前に母と参拝したことあり、久しぶりだった。
で、児島のジーンズストリートであるが、良かった。児島の歴史をにわかに
勉強。干拓からの。
一本の相場は2万は超える。一本欲しいのを逃すが、セールのやすい一本求める。
めぼしいメーカーの名前は大体おぼえた。21日に直接関係のない繊維祭があり
品物は(間接的に)出るようだ。
オサレなカフェで軽食的な昼食。ビッグジョンの婦人部門だったベティスミスの
ジーンズ博物館に足をのばす。制服博物館には行かなかった(行きたくはあったが。)
児島の珈琲蔵で休憩と読書。他者の談話から「ぼっけえ」という言葉をおぼえる。
帰り疲弊はなはだし。眠かった。
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2017年07月18日

6/25(日)橿原・今井 7/8〜9(土・日)いろいろ

6/25(日)
特に用事なく、kと西名阪のほうへ流す。
結局橿原でどしゃぶり。雨宿り。
やんで曇天の今井町にひさしぶりにゆき散策。
7/8(土)〜7/9(日)
京大でイヴェント参加。(桑名のkという人は変な頼りがいのある人だった。)
呑んで深夜になり、最終便のがす。西大路の姉の家に泊めてもらう。
義兄と長く話す。
3時間眠り、始発の阪急で帰神。
家に着いて1時間仮眠とり、kと遊ぶ。
特に用事なく姫路のほうへ流れる。駅書店によって、その後、
ふらふら手柄山のあたり。
最終的に祥園という焼肉屋で夕食。
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白浜、田辺、南部(みなべ)

kと。5年ぶりの白浜。7/16-17の連休。
・往路、泉佐野JCTあたりで混む。あと広川ICあたり。
・海水浴、人多い。ヤンキーっぽいのとりわけ。
・まともな駐車場少ない。遠めで停めれた。
牟婁の湯、すばらし。硫黄臭あり、熱い。
 ドライヤーはない。
 今度、やはりここに行きたいな。
・銀座商店街で、八両という和歌山ラーメン屋で夕食。美味だった(濃いが)。
 和歌山ラーメンの基礎は湯浅醤油らしい。
・宿はなかった。田辺で探す。田辺は私は2回目(昔に本宮での細野晴臣Liveを
 観聴した帰り、特別運行バスで田辺までたどりつけたが、そこからは便がなく、
 急遽一泊したことあり。)。前回と同様の艶っぽい印象。
 興味深い街なり。熊楠生誕150周年らしい。 
・AWだが、アニマルアクションは相変わらずすばらしい。エンターテインメントを
 よく考えられている。ところがマリンライヴいまいちだった。構成が散漫で。
 理由よくわからず。5年前に比較してそう思う。
・みなべ(南部)の梅干館による。紅南高が売っていたし、梅干がやはり
 美味だった。土産含め求める。
・復路、阪和道に入ろうとしたら大渋滞。17kmほどの。さらに和歌山以北も事故
 渋滞あり。時間ずらすため、日高印南のCorocoro珈琲店による。18時まで
 だったが寄れた。美味あり、かつ紀伊水道(太平洋)の絶景。
 (市内ではこういう紹介あり。)
・42号線で北上。広川ICから入る。紀ノ川SAで仮眠。そうすると事故渋滞にも
 さほど巻き込まれず。しかし疲労はなはだしく、精神的に不調だった。
 何度も休憩す。
・無事に帰る。
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2017年07月03日

6/20-22(火〜木)

6/20(火)休み。曇り。夕方からkと。
毎年行く魚住の住吉さんの紫陽花を観に行くが、
色が悪かった。小ぶりなようだし。降雨が
少ないからではなかろうか。
夜から雨。
6/21(水)
午前雨、午後晴れ。外回り。仕事でボウリング。
疲れた。
6/22(木)
朝は寒いがすぐ暑い。
6/23(金)
酷暑。すでに梅雨明けのようだ。疲れた。
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2017年06月19日

6/18-19(日・月)

夜勤。明けは陽射しが赫赫。
入りの前に千田是也の自叙伝など。興に乗って
いたが寝だめせねばならぬし、途中で打ち切り。
帰宅後は、河村彩のロトチェンコ解説の再読。
このころの前衛藝術は才人が結集していて凄い。
マヤコフスキーについても再考したい。
寝て晩に保田の「日本浪曼派の時代」(1969年か。
入手したのは廉価版の新学社の文庫)を読む。
※梶尾文武さんがtwで推薦していた論文(共同体論をめぐる
文脈と情勢)は福本勝清によるものだった(中公新書の
アウトローの共産革命については一読していた。)
福富正実については全然知らなかった。
https://twitter.com/FumitakeKajio/status/874594089009676288
https://twitter.com/FumitakeKajio/status/874602267596292096
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2017年06月18日

6/17(土)

勤務。遅番。
仕事で要るアダプターがもう届いたというので、
急いでとりにゆく。21時まで間がなかったので。
帰宅すると、いくつか書が届いている。
エラーギンの「暗き天才メイエルホリト」だが、
この「暗き」、тёмныйって、独特の含蓄が
あるんだろうか。山城むつみのドストエフスキー論で「優しき」
を解説してくれていたことがある。
内容は辛辣で興味深い。
あと秋田雨雀自伝は楽しみ。
姉に尋ねて調べてもらったが、
https://t.co/ol110k3v7d
https://t.co/1rpajj1Fjl
映像はないが、音は遺っていると。感動する。
あと早稲田演劇博物館は資料の宝庫らしい。

※藤井聡四段の対局あり。相手がアマでも安全勝を目指して
手が臆するなんて全く論外の攻め煥発で爽快だった。
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6/16(金) 太秦三尾

休み。好天。昼からでかく。
母を大倉山まで送る。駐車。ともに神戸医大(医学部)病院前の
魚豊で昼食をひさしぶりに(もう10年近くになるか)とるのだが、
ご亭主たちは御健在だった。安心した。
私は独り、神戸駅から京都駅を経て太秦(山陰線)まで。1時間余で着く。
JR(旧国電)は速い。
太秦映画撮影所関係者が降りていた。陽月華(宝塚出身)の
話をしていたのはなぜか。
太秦はやはり鄙びた感じを催させる。北上。
あれは丸太町通なのだな!を過ぎて、「文徳天皇陵」(田邑陵)へ。
その前の空間はいま区画整理中だった。これからどんどん新居が
建ちかけているところ。
ここらは常盤や常盤野というらしく、その名の小学校がある。
西京・右京は暑い。
保田与重郎の旧邸・身餘堂に詣でた。尤も門外からしか眺められぬ。
鴉がしだれ桜の頂にとまっていた。空き家の亭主の如し。
田邑陵から身餘堂を眺めるが、起伏・高低差があり、わかりにくい。
池(濠跡)のこと(保田典子の文章=「保田與重郎のくらし」)は
忘れていた。

続き
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2017年06月16日

6/15(木)

晴れ。心地よいと思ったが暑くはあったようだ。
休日。
7:30にタイマーかけたが二度寝で11:30だった。
午後に近所に用事2件。時計屋と電器屋。
帰宅後、また寝てしまう。
土方与志2冊届く。メイエルホリドの排除(からのち
粛清へ)の情勢と土方と佐野碩のロシア国外退去の処置
とは関係しているとのこと。(ただ、碩はトロッキスト
ではなかったようだ?)
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2017年06月14日

6/13-14(火・水)

夜勤。明けのなんという快晴。
体調悪し。仮眠後、ましになる。頭痛がひどかった。
予定をこなしたかな。

帰宅後、届いた、薄田研二「暗転・わが演劇自伝」(1960年・
東峰書院)を熱心に読む。津上忠「評伝・演出家土方与志」
(2014年・新日本出版社)はまだ。
久保栄選集の「Z・新劇史のために」(1952年・中公)も再読
し始めている。あと、岡村春彦「自由人・佐野碩の生涯」(
2009年・岩波)も欠かせぬな。
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2017年06月13日

6/12(月)

早番。少しく残業。帰りに中村隆英「日本の経済統制」(1974日経新書の
復刻版)を読もうと思っていたのだが、バテバテかつ、非常に寒いので(夕方は)、
帰ることにする。飯を食うといつの間にか寝ていた。
・山田孝雄「俳諧語談」(1962年角川)届く。谷崎昭男の保田伝(論)に
言及あり。
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6/11(日) 無量光寺〜西脇中畑町

曇りの日。すこし肌寒いところもある。kを9:30ごろ拾う。
T:明石の無量光寺に参詣す。あそこら、車の置き場所が
わからなかったのだが、コインパーキングがあることを最近に
知った(といっても無量光寺の駐車場は奥にあった。ちょっと
わかりにくいところに)。
蘇鉄が植えられていたり、南国風の趣のある、情緒あるお寺だった。
墓地に入らせてもらうと、掃除をしていた女性がおり、関係者だと
知れたので声をかける。倉田百三のことを尋ねるとピンと来たのか、
丁寧に話をしてくれて、相手も話が通じることを知ったのか、
そのうちに話し込むことになる。
で、情報を知れた。いくつか、資料をみせてくれ、またコピーを
もらう。@1997年5/12(月)の神戸新聞掲載の安積勇一氏の
「山門を巡る人々」という「エッセー部門入選作」。これで、
その女性が明子さんだろうこと、その明子さんから訊いたことが
手際よくまとめられていることを知る。A新宮の佐藤春夫記念館の、
2010年10/5〜翌年1/6企画展のパンフレット。前住職の小川龍彦の
簡略した年譜がある。
B薄田研二(小川の友人であり義兄)のことを知らなかった。結構、
衝撃であった。久保栄の同志でもある。その写真集も見せてくれた
(還暦記念のものだろう。)築地小劇場・新築地劇場から、のち東映へ。
・で、倉田がなぜここで「出家とその弟子」を書いたかということ、
あるいはこれも全く知らなかったが、佐藤春夫の分骨の墓がここに
あるかということも知れる。
何も用意していなかったから(花とか)、また出直すと告げて去る
ことにするが、いろいろ衝撃であった。明子さんは鳴瀧の身餘堂(この
餘も正しい字ではない)に月下美人を観賞しに出かけたことがあると
喋っておられた。

続き
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2017年05月14日

5/13(土)

・竹内正浩「鉄道と日本軍」(2010年・筑摩新書)
・荒川章二「軍用地と都市・民衆」(2007年・山川出版社)
   日本史リブレット95。
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5/13(土)

・伊藤一彦「月語抄」(1977年・国文社)。
   冨士田元彦のチェックつき。
   宮崎出身。早稲田短歌。若山牧水研究。
・安森敏隆「抒情の軌跡」(書肆季節社・1983年)
   函の帯が塚本邦雄の推薦文。本文にはないと思う。
・笠原芳光「塚本邦雄論」(1977年・審美社)
   塚本の基督教側面を追う。笠原は信仰者。共編「イエスとは
   なにか」に岡井隆や吉本隆明の参加あり。
・外村吉之介「岡山の民芸」(1967年・日本文教出版)
 「民芸遍歴」(1969年・朝日新聞社)
   塚本に基督教を教えた人(叔父)。リーチとの関係如何。
・前川佐美雄「日本(やまと)し美(うるは)し」
(1943年・青木書店)
・塚本邦雄「透明文法」(1975年・大和書房)

万葉・柿本人麻呂
・中西進「柿本人麻呂」(1970年)、講談社学術文庫版(1991年)
・斎藤茂吉「柿本人麻呂」五部作(岩波書店)
「雑纂篇」(1940年)
「総論篇」(1934年)
「鴨山考補註篇」(1935年)
「評釈篇・巻之上」(1937年)
「評釈篇・巻之下」(1939年)
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2017年04月17日

4/16(日) 吉野

晴れ、どころか夏日であった。感謝。
kを拾い明石発6:40ごろ。阪神高速から環状線・南阪奈で橿原へ。
樫原神宮前駅に置いて(1日800円だった)から近鉄で吉野。
8:50発で9:40ごろ着。
往復ともに座れない。帰りは混雑はなはだし。
もっと近いところでいいかもな(吉野口か下市口あたりか)。
http://www.kintetsu.co.jp/railway/rosen/A50001.html

駅から下千本あたりまでからして高低差つよい。
(ロープウェイは人並ぶ)。
そこからは見慣れた光景。
中千本で満開をまみゆ。
一度、戻り、坂本屋で葛饂飩を食す、うまし。

忘れていた、上千本・奥千本(奥の院)への径。
全行程、歩いたよ、西行庵まで。
疲れ果てた。
つくづく、吉野の構造の面白さを想う。階段状の奇妙な
街空間。
奥馳の径は本宮から新宮にまで通じるらしい。

土産多く買う。あんぽ柿、葛粉、葛切り、奈良漬けなど。他にも
あるが断念す。

橿原R、2時間2500円(土日関係なし)。
大蔵谷王将、ラストオーダー21:30とさらに早くなる。
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2017年04月14日

4/13(木)

吉本においては、戦争体験は「論理と罪とむすびつけて意識しうる詩人」
(鮎川信夫)として、彼を規定した。それは、いいかえれば、日本革命運動の
全負債を一身において決済すべき人間の立場、ということであった。ところが、
花田においては、そのことは「戦死した同世代の青年の代表のような顔をする」
というくだらぬ見地でしかとらえられていない。つまり「青春に特有のナルシシズム」
にすぎない、とされている。そして、そのように吉本らの問題提起を矮小化することに
よって、あわせて戦争に対する革命的リーダーシップの責任の問題を相殺的に解消
しようとしているように私には見える。

(橋川文三「日本近代史における責任の問題」後注。1962年。「歴史と感情」に
所収。)
→「戦争体験」については橋川の「歴史と体験」第T部の諸論考を参照せよ。
「体験」という言葉に独自の意味を込めているというのか、なんらかの参照枠
としての概念や用法があるのだと思われる。ドイツ語か。
「経験記述の方法論と区別される」と「「戦争体験論」の私的総括」1961年、にある。
1959年頃の論考が多い。「戦争体験が、戦争世代の独占的な発想源であるという
考えは否定されねばならない。」と、「「戦争体験」論の意味」注2にある。
「超越者としての戦争」という表現がそこにあり、異論もあろう。
→「抵抗責任者の責任意識」(1960年・「歴史と体験」所収)でも、花田について
批判的に論じている。同じ「責任」論だが。
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2017年02月24日

2/18(土)藍那〜山田 2/19(日)鴻池新田

2/18(土)
野草観察例会。藍那から山田まで歩く。往復。やや肌寒い程度。
曇天から晴れ。
のぐるみ。
わるなすび。
最近は例会は冬のせいもあるが、野草観察よりも史跡探訪の
趣つよい。勉強になった。
(あと会同人に、東大阪在住のNさんがいるのだが、なんと、
前登志夫のヤママユ会に所属して歌をならっておられた。
当然、「日本歌人」門の話に詳しく、情報もいただく。
少しく私は昂奮した。足下にこんな事象が転がっているとは。)

終ってから神鉄・地下鉄で湊川〜大倉山。
図書館で長く調べもの。あの図書館は暖房がよく利いて
いるよなあ。暑いぐらい。
1968年の図書新聞、読書人、日本読書新聞3社を調べる。
実は前2者を調べて見当たらず、一度帰りかけたのだが、
近くの公園で喫煙して休憩しているときに、後1者を想起
できたから、ラッキーであった。戻って見つけられた。

帰り、湊川近くの変哲ない居酒屋で独り夕食。白鹿を1合飲んだ
(今日は電車だったので)。

2/19(日)
kを拾い東大阪まで。晴れで小春日和。やはり暖気が感じ始めると、
「遠出」を志向することになる。
ただ途中で用事があったので、垂水北の山上をうろうろ迂回していた。
阪神高速に乗れてからあっという間。
故塚本邦雄の旧寓(跡)をさがしに。
といって、結局、そこを徒歩で散策できたわけでない。車をとめる
場所がわからなかった。道が細いし。
しかし東大阪(生駒までの。石切社には参詣したことあり)の雰囲気を
知れて良かったし(機械業者の卸売市場のようなビルがあった)、
鴻池の開発した地域だということを知る。昼食後、鴻池新田会所を訪問。

塚本の旧寓地だが、下町ほどではないが、閑静な住宅地でもなく、
決して詩的な空間とは思えない。それが励みになる。私もまたそうだから。
あの空間であれだけの想像力駆使と博捜をできたということは彼が「天才」
だからだけでなく、努力もあったということだ。
(彼は「堅い生活人」だと思うのだが、その反動としての文学活動か。)
昼食は駅近くの王将でたらふく食べた。
近くでこもってから、南のほうのスタバ(宝持だった)で各読書。2時間余。
帰路につく。満足の一日。
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2017年01月06日

1/5-6(木・金) 広島市街

正月から二日働いて冬休みだったのだが、kの母方の近親が正月から
亡くなって、急遽九州に帰ってしまった、予定がぽっかり空いた。
旧友に久しぶりに飲もうと連絡するのも気倦く、たまった英語字幕の
ファスビンダーDVD20枚をさわりだけでも鑑賞することで二日ほど過ぎる。
読めなかった書物も読めてそれなりに満足の二日だったが(家事も
しっかりした。)さすがにこのまま休みが終わるのも口惜しく、
ノープランだったが、西明石に車をとめ、新幹線で独り広島に
出かけることにする。
1/5(木)晴れ。
昼からの始動。乗り換えありで、1時間半ほど。新幹線代が高い。

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2017年01月03日

1/2

阿倍野の河合さんから資料恵贈。
津山君の論稿あり。我々の最近の間のホットな話題が
手際よくまとめられている。資料についても。
ちょっと頭の整理とか想起をするために、メモをとる。

・小浜と姫路との関係。酒井の本家と分家との関係があり、
交流がある。家臣の間でも。そこで、梅田雲浜や、河合さんや
津山さんが発掘した、坪内岨次郎(そばじらう、だろうか)などが
出てくる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E6%B0%8F

・林田の勤王家で有名な大高又二郎重秋(赤穂浪士大高源吾の子孫)だが、
武具製造で有名でもあるのだが、特に皮革である。それで姫路に滞在していたと。
姫路の皮革産業とどこかで通じていたのではないかと思われる。
ここはあまり誰もまだ指摘していないのではないか。
(大高は池田屋事件で遭難。捕獲され獄に死んだのが正しいか。→1/11に追記。又二郎は戦死。弟子の忠兵衛が獄死。)。
で、大高の手下というか弟子の、北村義貞(善吉)、飾磨の出身だったと思うのだが
(差別語を使うと軽輩出身だが、のち藩士に列せられる)、墓はたしか、市川
近くの禅寺の定額寺だったか?にあるはずだが(河合さんに教えてもらった)、
それもまた先のことと関係するのだろうかと思う。私は一度参詣した。

・秀才というのか天才的な秋元安民であるが、一時、野々口(大国)隆正の
養子になっていたのに、「故あって」その関係は解消されるわけだが、その
故とはなにか? 絶縁なのだろうか?
大国(野々口)は小野の一柳(ひとつやなぎ)に招かれてそこで教えていたから、
その関係か、養子でなくなってからも、一時、秋元は三木で私塾を開いていたという。
どこだろうか? 三木市(教育行政)はそこを全然、注目していないようだ。
(野々口=大国は津和野の人間。晩年の津和野の国政にも影響を与えたか。
西周や森鴎外とも関係してくる。岩倉の腹心らしい玉松操は、もと大国門下生
らしい。)
で秋元はこれまた小浜の伴信友(1773-1846)に師事するわけだ。

同日に追記(以下私見):
「明治維新」はある種の革命なのだが、「志士」(革命家)の思想について
再検討するべし。
・資本主義をどう評価したか。当時は開明的な資本主義にせよ、資本主義は常に
暴力的な側面がある。それをどう評価したか。
・共和主義・共和思想については? わずかに佐幕の蝦夷共和国にその志向は
みられ、福沢諭吉なんぞも強権的だろうが共和主義の萌芽はみられただろうが、
他はどうか。尊王のなかに共和主義とそうでないものとが混淆されている側面が
ある。ゆえに「明治維新」なわけだが。それはのちの「自由民権」運動のなかで
国権派と無政府主義との間で分かれてくるところだが。
・革命家の地勢・地政観、プログラム、革命構想が最大の謎な面ではある。
多分に偶然の要素も加わっている。生野蜂起や大和吉野蜂起(天誅組)含めて
考慮せねばならない。で、1960年代の叛乱はなぜ、「明治維新」になりえなかった
のかも再検討せねばならない。
→で、服部之総を再読するべしと。
・あと、(これも河合さんから過去に教示されたが)江原萬里の「勤王の志士・
鞍懸寅二郎」(片山伯山注。片山は赤穂の花岳寺の住職だった)だが、新教
出版社から、「江原萬里・祝 遺稿と回想」が出ている(1994年)。
(余談だが、1921年8/11の内村鑑三からの江原宛書簡に「昨日軽井沢にて
本位田祥男君に会ひまして君の病気なりし事を聞きまして御同情に堪へません」
p.236とある。内村と本位田は知り合いだったんだな。)
鞍懸伝(原題は「祖父の書翰」)は、江原の「処女作かと思はれる」とある
ので、初期の作品らしい。重言になるが、鞍懸と河合惣兵衛宗元は交友関係が
あった。http://geldfelds.seesaa.net/article/387323425.html
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2016年12月24日

12/18(日) Troopcafe

20:30という晩い時間からのライヴ。
それまでkと元町ブラブラ。一番館行ったり、エヴィアンや
たちばなで喫珈。
梟カフェが出来ていた。行きたかったが次回にする。
元町の靴屋二店で、ドイツのモーブスとか、アメリカのキャタピラー
とかを知る。後者、欲しいものがあった。

Troopcafeは初めてというか、ここにライヴハウスがあることを
初めて知る。
青葉市子、小山田圭吾(コーネリアス)、U-zhaanのトリオ
ユニット。解離的で面白かった。
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12/11(日) 淡路三山

kとともに淡路の南光を浴びに。晴れから曇り、寒い。
淡路には三山があるという。先山(せんざん)と諭鶴羽山(ゆづるはさん)は
そうらしいが、もう一山が、妙見山か柏原山か、よくわからない。
そのうちの二山について手がかりは得た。
というか、先山に登るつもりが、登山口がわからず、ナヴィにしたがって
いるうちに山頂に車でついてしまった。千光寺がある。参詣だけすます。
kはがっくり来ていた。
で、諭鶴羽山の登山口はダム近くにあることを確認はできたのだが、
すでに14時で、往復3-4時間かかるとして、陽が短いので、やめることに
した。つまり、結局、登山できず。
(12/30に追記。帰り、淡路島牧場によったのだった。)
kがアウトレットに用事があるということで、垂水まで戻る。
私だけ買い物した。
モンベルだったかで、登山服について引き続き、調べもの。
店員は肌着をウールのそれにしろというが、高いね。
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12/23(金) 山田

野草観察の会、例会。過去2回休んだので、半年ぶりの
参加となった。
ただ今回は、自然観察よりも、山田の農村の史跡探索がメインであった。
知っているところだったが、歩いたのは初めてで、知らないことも
多かった。

DSCF4163.JPG
(タイサンボク=泰山木。木蓮科常緑樹。北米原産。白い花の強い香りあり。)

DSCF4172.JPG
(ベニカナメモチ=紅要黐。薔薇科常緑小高木。交配種としてRed Robinあり。)

DSCF4187.JPG
(サネカヅラ・ビナンカヅラ。木蓮科常緑の蔓植物。Kadsura japonica Dunal)。
「 名にし負はば 逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな」三条右大臣の
いうサネカヅラ。茎や葉を水のなかで潰すと、石鹸のようになり、それで髪を洗う
ので、美男カヅラという。

厚着しすぎると暑くなったときにつらいので、少し
薄めにすると、やはり少し寒かった。調整が難しい。
あとストールを持っていくべきだったかもしれない。

15時すぎに終了。
北神急行で三宮へ。
パナフェス(サーキット型)が東三宮であった。
太陽と虎は2回目、あと、スタークラブ、バックビートを訪れることが
できたことは嬉しい。マージ―ビートはバックビートのビルの4階
だったが、そこを逃した。
16時からの参加でthe Bosss→the ロック大臣ズ→mol-74→笹口&ニュー
オリンピックスを観賞。みな、良かった。特にロック大臣ズには印象強い。
早めに帰宅す。
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2016年12月19日

12/10(土) クシノテラス

昼から新幹線で福山へ。1時間10分ほど。
クシノテラスへ。会田誠さんが来ると聞いて。
また櫛野さんと会田さんとがどういう話をするのかにも
関心があった。クシノテラスの展示会も面白かった(高齢者表現)。
クシノテラスまで歩く。バラ公園の近く。
盛り場というのか、飲み屋街などもそれまでに通過す。
帰りも新幹線。帰りは待ち時間少なく、1時間で福山→西明石だった。
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12/5-7(月〜水) 水戸

研修で千葉幕張へ。2日間にわたり。
海浜幕張駅前には三井のアウトレットがあったが、
人工的な空間であった。飯を食うところに大いに惑った。
2日目昼に課題が終わり、翌日は休みだったので、
せっかくのことだから、水戸まで足をのばすことにする。
(5日は暖かかったが、6日から少し寒い)。
いろんな行き方があるのだが、JRで行くことにする。
京葉線で南船橋まで戻り、そこから武蔵野線で新松戸まで。
車窓からの風景が興味深かった。
そこで常磐線に乗り換え。我孫子で一回下車し、飯を食い、
水戸行(赤塚行)を待つ。
結構混んでいるのだが、取手でかなり人が降りた。常総線の
乗り換え駅だったんだな。
筑波山が遠くから目立った。

水戸駅の南に宿を決めていたが、北にするべきだった。そちらが
盛り場であり街であるから。
一通り歩く。大工町まで。
Jazz喫茶が深夜2時まで開いているところがあったが、入らず。
疲れていたので宿に戻り、眠る。

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posted by mkimbara at 04:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 観光・巡礼学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月29日

11/28(火)

〇笠谷和比古「士の思想」(筑摩学藝・復刻。原版1993年)
・補論である、平山朝治への反論が面白く、また平山のそれを
読みたくなる。笠谷は村上泰亮「文明としてのイエ社会」からの
学恩を公言しており、それ、私未読だが、おそらく、関東・武家
中心史観なのではないかと思われる。笠谷にはそういうところがある
(京大卒だが)、ある種の近代化論の傾向がある。
勿論、顕密社会がそのまま優位を誇っているならば敗北はないのだから
何らかの独自のイエ思想の加工改変があったとして、そこを笠谷は注目
するわけだが、やや、事後的な説明のような気もす。
〇正木晃「性と呪殺の密教」(筑摩学藝・復刻。原版2002年)
・チベット密教のドルジェタクのサーヴェイであり、理趣経への
コメンタールもある。(特定文脈での)殺人容認が理趣経にあるとは
知らなかった。性瑜伽論。比喩なのか現実なのか、まだきちんと解決
されているわけではない?立川流には直接の影響はないようだが、
並行している。
〇片山一道「骨が語る日本人の歴史」(筑摩新書・2015年)
川田順造「もうひとつの日本への旅」で骨格の比較をしていたが、
そこから身体史について気になっていたが、そのもの。
骨成分研究からなにを食べていたのか、どういう病気になっていたのか
などもわかる(封建時代、鉛中毒者が多かったとか、梅毒が流行して
いたとか)。
〇日経11/27の書評から今谷明による呉座勇一「応仁の乱」へのもの。
図書館で入手した。
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タイトル朝令暮改

タイトルを「贅言録」に変えた。
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